アボリジニ(オーストラリア先住民)の文化は6万年から8万年前までさかのぼります。 アボリジニが最初にオーストラリアに定住したのはこの頃で アボリジニの思想や哲学の最古の記録は、2万年以上前の壁画にあります。
土顔料が岩壁に描くために使われていました。 考古学者の研究によって、原始的なキャンプ場から発掘されたものが、4万年から6万年前であることがわかっています。オーストラリアのアボリジニには文字言語がないため、彼らの重要な文化的なストーリーをシンボルやアイコンで表現されているアートワークを通して世代を超えて伝承されてきました。彼らの文化を守るためには、情報を伝えることが不可欠です。先住民族の芸術は主にストーリーを伝えることでアボリジニの土地や出来事、信念を時系列的に伝承ために使われています。シンボルは、文化的意義のあるストーリーやサバイバル、さらには土地の利用方法などを書き留めるための代替手段です。シンボルの解釈は、見る人によって異なります。
子供たちに語られるときは教育や振る舞いの側面を強調するためよりシンプルな形を取ります。 ストーリーの背後にある情報と道徳的な教えの組み合わせとなることもあります。 子供たちには、正しいこと・間違ったこと、そして善と悪の結末などが伝えられていきます。しかしストーリーは、年長になるに連れ非常に異なった、より高いレベルのフォームで解釈されることになります。
オーストラリアのアボリジニは何万年も前から土顔料を木の皮や岩またはボディに描くときに使用してきましたが、最初に現在のように絵画が描かれたのは1930年代になってからです。初期の絵は顔料やドットアートではなく、アリス・スプリングス(Alice Springs)の近くにあるハーマンズバーグ(Hermannsburg)ミッションにおいて水彩絵の具で砂漠の風景を描いたものでした。
初の展覧会は、1937年に初期のアボリジニの水彩画家の中で最も有名なアルバート・ナマジラ(Albert Namatjira)がアデレードで開催しました。1970年代初頭までは、アーティストは主に水彩絵の具を使用していました。 顔料や樹皮の絵は、原住民以外の愛好家も手に入れることができるようになり、1948年にはエルナベラ・ミッション(Ernabella Mission)に美術工芸センターが設立されました。伝統的なアボリジニの絵画は、岩壁や儀式用品、ボディペイントとして、そして最も重要なのは歌やストーリーとともに土や砂で描かれていました。 今日、私たちが目にするキャンバスやボードに描かれたアートワークは、わずか50年前に始まったものです。
1971年、教師であったジェフリー・バードンはアリス・スプリングスの近くにあるパプンヤ(Papunya)でアボリジニの子供たちと一緒に仕事をしていました。 彼は、アボリジニの男性たちがストーリーを語っているときに、砂にシンボルを描いていることに気づきました。そこでストーリーをキャンバスやボードに描くように促しました。 これが有名なアボリジナル・アート運動の始まりです。先住民にとって異質な概念である西洋のキャンバスに物語を描き始めるということは大きな飛躍でした。それ以来、オーストラリアのアボリジナルアートは、20世紀で最もエキサイティングな現代アートとして認識されるようになりましたが、アボリジニのアーティストが特定のストーリーを描くためには許可が必要です。彼らは、限られたグループの中で何世代にもわたってストーリーの権利を受け継いでいます。アボリジナルアーティストは、家族を通じて語り継がれていないストーリーを描くことはできません。
創造の法則はアボリジニ文化の中心であり、アボリジニの芸術にとっても重要です。 この法則は、アボリジニのアイデンティティーと、その土地との結びつきや関連性を示す「夢(Dreaming)」を規定しています。Dreamtime(Jukurrpa and Tingari:部族によりこの言語は変わります)は、アボリジニの人々の時間の創造を意味します。 ほとんどのアボリジニアーティストは、継承とアイデンティティの共有を形成している夢(Dreaming)の側面を描いています。多くの人は、点描画(ドット画)はアボリジニの人々が自分たちの神聖で秘められたな知識を白人に見られたり、理解されたりすることを恐れるようになったとき、白人から情報を隠すために使われたと考えています。 ドットは、その下に隠された秘密のシンボルや図像を隠すために使われていたのです。
アボリジナルアートは、アーティストがどの地域の出身であるか、どのような言語が使われているかによって特徴やスタイルが大きく異なります。 現代アートの多くは、その画風から作品がどこ地域で制作されたものであるかが判ります。アーネム・ランドや東キンバリーでは黄土の絵の具の使用が目立ちます。アボリジナルアートに使われている材料(色)は、もともと地元の土地から入手したものです。黄土や鉄粘土の顔料は白、黄土、赤、炭から黒などの色を作り出すのに使われていました。スモーキー・グリーン、セージ・グリーン、ソルトブッシュ・モーヴなどの色もすぐに加えられました。
1980年代半ばには、より多くの女性アボリジニアーティストが登場し、現代的な色が選択されるようになり、明るい砂漠の絵が市場に出回り始めました。西部アウトバック芸術運動の一部であるパプニヤ・トゥーラ(Papunya Tula)は優しいアースカラーを使用していることで知られていますが、他の多くの西部アウトバックコミュニティは強い原色を使用しています。スタイルは地域内でも大きく変化し、必ずしもこの傾向に沿わないパプニヤの作品も多く、アートワークに関して厳しいルールがあるわけではありません。その他のアートバリエーションは、特定のコミュニティにより限定したスタイルになっています。ただ繰り返しになりますが、特定のアートスタイルが有名になることがありますが、コミュニティ内でもそのスタイルは大きく異なることがあります。
2007年5月、初めて100万ドル以上で落札されました。これは、エミリー・カメ・クングワレー(Emily Kame Kngwarreye)の作品「Earth’s Creation」が2007年に個人のバイヤーに105万6,000ドルで落札されたことによるものです。
同じ年の7月、Clifford Possum Tjapaltjarriの “Warlugulong mapシリーズ “は240万ドルに達しました。
アボリジナルアートは、この古代文化の最も初期の時代を反映しており、芸術的にも人類学的にもメリットがあります。これがアボリジナルアートが特別で重要な理由の一つです。現代のアボリジナルアートは、アウトバックにあるアボリジナルコミュニティに刺激を与え、多くの場所でアボリジナルファミリーに大きな収入をもたらしています。アート活動は、アボリジナルアートの基礎となる伝統的な知識の価値観を強化することで、アボリジニー社会の文化を強化することにも役立っています。
現在では、オーストラリア各地の何百ものアウトバックコミュニティや、都市部のアボリジナルアーティストによって、多くのアボリジナルアートが制作されています。アボリジナルアートを支援することは、先祖代々の土地とつながったアウトバックに住むことを選んだ先住民の家族のストーリーや文化を支援するという側面も持っています。